オードヴィ庄内の杜氏ブログ

プーチンの戒名・その1

2022年03月30日

■プーチンの背中には旧ソ連の亡霊が取り憑いている

21世紀に入って、こんな意味の無い戦争・軍事侵攻を行ったプーチンの蛮行を目撃することになるとは絶句以外にありえない。
今やるべきことは、直ぐにロシアの軍事侵攻を止めることです。
これを止めるには一つの方法しかありません。
国際的にまたウクライナ・ロシア国民のためにプーチンを速やかに抹殺することです。
それ以外の方法はありません。

ウクライナやロシアには凄腕の女性スナイパーが居るとのことですが、此処は、国際的に超一流でないとプーチンには歯が立ちません。此処で日本政府の出番です。デューク東郷にプーチンの暗殺を依頼することです。

罪人プーチンの罪状は「人道に対する罪」による戦争犯罪である。既に風前の灯火で老い先短いプーチンが迷うことなく地獄へ行けるよう特別切符を日本流に準備するとどうなるか。

露西亜人・風珍 戒名 「大罪戦争犯罪卑劣愚物」

●掴みはこのくらいにして、ロシアとウクライナの関係について整理してみたい。
先ずは前提から。

①現在ロシアの前提
1917年11月7日のロシア革命(十月革命)からロシア内戦を経て1922年12月30日に成立したソビエト連邦は、 1989年ベルリンの壁が崩壊し、ロシア革命から69年後の1991年12月25日に崩壊した。

②ソ連邦崩壊の前提
ソ連の崩壊はブレジネフが統治した時代に経済が停滞したことに起因している。
経済の建て直しのため大胆な改革が必要としてゴルバチョフが登場する。
ゴロバチョフは「ペレストロイカ」と「グラスノスチ」と呼ばれる改革を進めるが逆にそれはソ連の民主化につながってしまった。
1989年ポーランドとハンガリーに始まり東西ドイツベルリンの壁の崩壊、チェコスロバキアのビロード革命、ルーマニアのチャウシェスク政権崩壊と東欧の社会主義国で立て続けに革命が起こり、翌年にかけて民主化が達成された。
ソ連共産党保守派のクーデター失敗により、ソ連共産党とゴルバチョフに対する国民の指示が離れる。
この事件により新連邦条約は挫折し、ソ連共産党まで解体されてしまった。
ゴルバチョフはソ連の維持に奔走するが、ソ連邦内第2位の工業力を誇るウクライナの国民投票で独立支持多数という結果が出てロシア共和国大統領のエリツィンがウクライナの独立を承認した。
新たにロシア、ウクライナ、ベラルーシで作られたCIS(独立国家共同体)に参加する国が増えてゴルバチョフはソ連政府の活動停止を宣言。此処でソ連は正式に解体されることになる。
ソ連崩壊後もエリツィン時代にロシアは経済危機を迎えるが、プーチンが登場して高い経済成長を達成した。

③プーチンの前提
プーチンは旧レニングラード生まれ中産階級の出自。インテリゲンチャでもテクノクラートでもなくバックグランドもないただの成り上がりである。
KGBの対外情報部員として東ドイツで過ごし、ソ連崩壊を見てエリツェン政権に参加した。
幼い頃から体が小さく多くの屈辱を経験し、卑屈で臆病で被害妄想的コンプレックスと執念深い粘着気質の塊的性格。プーチンの世界観はソ連時代のKGBという特殊で偏狭な組織の中で培われた。
プーチンはソビエトKGB中佐の典型で大佐になれなかった中佐らしい。たえず仲間を詮索するソビエト秘密警察の根性が骨の髄まで染み付いている。

④ウクライナの前提
ウクライナの前身は「キエフ大公国」であり、北欧バイキングの末裔がビザンチン帝国との通商の経路地であった地中海に注ぐ大河ドニエフル川の要衝地に住み着き「キエフ公国」を設立したことに始まる。現代のウクライナの首都キエフを中心としたキエフ大公国の正式国号は「ルーシ」であるが、
この「ルーシ」をギリシャ語読みすると「ロシア」となる。
本来、地理的にロシアとはキエフ公国のことであるが、歴史的にモンゴル支配以降、急速に台頭してきた新興国家モスクワ公国に「ロシア」の主導権を握られてしまった経緯。

④ソ連崩壊後のロシアとNATOの関係・前提
ソ連崩壊後、米国とNATO諸国はNATOの拡大を支持していなかった。
NATOの結束力とか政策決定過程が煩雑になるとか理由が挙げられた。これは表向きロシアへの配慮でもあった。NATOは「平和のためのパートナーシップ(PfP)」という枠組みを考えてロシアと東欧諸国に提示した。PfPを結んでも加盟国ではないが、NATOは1994年1月、ブリュッセルの首脳会議でPfPの創設を決めた。

しかし、東欧諸国はそれで満足せずその後もNATO加盟を要請している。
NATO拡大の動きに対するロシアの姿勢は紆余曲折を経ている。
当初はNATOとの協調路線を打ち出し、ロシアのNATO加盟にも言及しながら拡大を容認している。
しかし、1993年秋以降、NATOのバルカン紛争への介入を境にして、拡大へ反対の姿勢に転ずる。

当時のエリツィン大統領は、NATOの範囲をロシアとの国境まで広げることは重大な間違いだと指摘している。結果的にロシアは1997年5月NATO・ロシア基本協定を結びながら、NATOは同年7月にマドリッドで開催された首脳会議で、チェコ共和国、ハンガリー、ポーランド3カ国の加盟を承認し1999年4月に加盟した。2004年3月にはバルト三国を含む7カ国、その後に4カ国が加盟して現在の加盟国は30カ国。

2000年に政権を引き継いだプーチン大統領はNATO拡大に強く反対する。
2007年にミュンヘンでの演説、また、2014年の議会演説で米欧諸国に裏切られたと発言している。2021年10月、ロシアはNATOがブリュッセルのロシア外交官をスパイだとして追放したことに反発し、NATOとの外交関係を断絶、モスクワの出先の閉鎖を命じた。
現在、ロシアとNATOの関係はソ連崩壊後、最悪の状態にある。

■今回の軍事侵攻に至った問題点
・ソ連崩壊後に旧ソ連圏の各国がソ連邦からの独立を目指しロシアになびかないで西側ヨーロッパに接近した経緯と意図

・ソ連崩壊後のロシアとウクライナの関係性
・プーチンの生い立ちからロシアの独裁者に上り詰めた経緯とプーチンの偏狭な思考回路
・独裁者としてのプーチンの思惑
・アメリカとNATOのロシア及び東ヨーロッパ戦略とウクライナへのアプローチの仕方
・外部要因として中国とロシアの関係性とエネルギー問題

つづく。

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