創立壱百五拾年を節目に
次の時代へ
清酒「清泉川」が産声を上げた、一八七五年・明治八年は、
日本の郵便貯金事業が創業された年であり、その二年後の
一八七七年には鹿児島で西南戦争が起こっています。
この明治維新の動乱期に清酒「清泉川」は、山形県の
日本海側、庄内砂丘地にある浜中集落で誕生しました。
江戸時代より、味噌醤油の醸造を手がけていた
佐藤一族がその醸造技術と実績を活かして、
「清泉川」という日本酒醸造蔵を立ち上げ、
以来、壱百五拾年間、創業家一族のみで今日まで
清酒造りに取り組み、その歴史を育んできました。
この歴史の中で、一五○年の歩みは必ずしも
平坦な道のりではなく、幾度となく歴史の荒波にもまれ、
天災や二度の大火で全焼するも、先人達が手探りながら
都度に復興を果たし、時代の変化を見据えながら、
多くの困難を乗り越え着実に道を切り開いてきました。
これもひとえに多年にわたりご愛顧頂きましたお取引先様、
そしてこれまで当酒蔵の発展に努力を惜しまなかった
先人達とご協力を頂いた全ての皆さま方のおかげであり、
その温かいご支援に心より深く感謝いたします。
この壱百五拾年記念に際して嬉しい出来事がありました。
昨年の十二月四日付けで、「伝統的酒造り」が
世界無形文化遺産に登録が決定しました。
日本酒の国内消費量が落ち込み、醸造酒蔵の数も
減り続ける中でこのニュースは、一筋の光明であり、
改めて世界に向けて清酒造りに精進し、日本の國酒である
清酒が世界の隅々まで行き渡ることを夢見て、
次の時代、次の世代へ「清泉川」のブランドを引き継ぎ、
創業弐百年を目標に一層の飛躍を目指すことを宣言し、
六代目蔵元として創業壱百五拾周年のご挨拶と致します。
今後とも変わらぬご愛顧とご支援、更に一段のご指導を
賜りますようお願い申し上げます。
二〇二五年一月吉日
清酒「清泉川」醸造蔵六代目蔵元
株式会社オードヴィ庄内
代表取締役 佐藤晴之
浜中地区と清泉川の歴史
オードヴィ庄内の酒蔵がある酒田市浜中地区の成り立ちは、その昔、越後から海岸伝いに北上してきた人々が、
庄内砂丘地に水が涌く場所を見つけて定着したところが浜中地区になったとの逸話が残っており、
中世以降(鎌倉期)は、海岸林を燃料にして製塩と漁業に従事していたとの記録がある。
その後、この製塩の燃料として伐採により草木が無くなり不毛の地となり、砂飛による甚大な被害が拡大し砂丘が荒廃していく。
元禄二年、俳人芭蕉の「奥の細道」には、酒田より大山に至る浜街道には一本の樹木も無いとあり、
この砂飛被害を防止するために最も古くから砂防植裁に取り組んだのが浜中地区である。
1610年頃から始めた砂防植裁は370年後の1987年昭和62年に半永久的な「砂防・防風柵」として完成した。
作家、阿部公房の「砂の女」昭和35年に出てくる浜中地区民の「愛郷精神」が実を結んだ結果である。
この砂飛被害と闘いながら浜中に根を下ろしたオードヴィ庄内の祖先は、江戸時代に味噌・醤油の醸造を始める。
そして、明治8年に味噌・醤油の醸造技術を基に敷地に湧き出す貴重な鳥海山の伏流水を使い、
庄内平野の米を原料にして「清泉川」という日本酒の醸造に取り組んだ。
以来、創業家のみで「清泉川」というブランドを守り、平成5年に、株式会社オードヴィ庄内に組織変更し、
令和7年の今年で150年の間、日本酒造りに励んできた。
現状、代表取締役社長の佐藤晴之が、6代目の蔵元であり、息子の7代目予定者が、杜氏を務めている。
奇跡の琥珀色をまとった熟成酒
創立百五拾年の歴史の中で育まれた